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くらしの未来を創る

【SERIES|三重企業探訪】株式会社ミエライス(前編)

一杯のご飯の向こうにある、三重の暮らし —前川社長が語る、三重の米とともに歩んできたミエライスの歴史—

毎日の食卓に並ぶ、あたたかいご飯。


炊きたての香りや、茶碗によそった一杯は、私たちの暮らしの中に当たり前のようにあります。


けれど、その一杯が食卓に届くまでには、米を育てる人、精米する人、運ぶ人、売り場へ届ける人の仕事があります。


三重の米を扱い、地域の食卓を支えてきた株式会社ミエライスも、その流れの中で暮らしを支えてきた会社です。


前編では、三重の米とともに歩んできたミエライスの歴史、米を届ける仕事の裏側、そして現場を知る経営者・前川社長の人柄についてお届けします。

スーパーの米売り場で、ふと目に入るオレンジ色のマーク。テレビから流れてくる、どこか聞き覚えのあるフレーズ。

 

普段は強く意識していなくても、三重で暮らす人にとって、株式会社ミエライスの名前は、日々の生活の中に自然とある。

 

 

米を買うとき、家でご飯を炊くとき、外食先で温かいご飯を口にするとき。その背景のどこかに、ミエライスの仕事がある。

 

表に大きく見える仕事ではないかもしれない。けれど、毎日の食卓を支えるという意味では、暮らしに深く根づいた存在である。

 

 

「三重県の米といえばミエライス」

 

 

そう思われるようになるまでには、長い歴史と、時代の変化に向き合いながら歩んできた積み重ねがあった。

ミエライスの前身は、三重県食糧卸販売株式会社。設立は昭和35年で、現在は株式会社ミエライスとして、三重県産米を中心に、米の精米、販売、卸売を行っている。

 

 

昭和62年には現在の社名に変更し、同じ頃にシンボルマークも誕生した。稲と米粒をイメージしたオレンジ色のマークは、今では三重の人にとって見慣れたものになっている。

 

駅の看板や売り場、テレビCMなど、さまざまな場所で目にするその印は、ミエライスが地域の暮らしのそばにあり続けてきた証でもある。

 

 

かつて、米の流通は今よりもずっと限られていた。地域ごとに米屋があり、そこへ卸す仕組みがあり、販売先もある程度決まっていた時代。

 

けれど、食糧管理法のもとにあった米の流通は、時代とともに自由化されていく。

 

 

米は、米屋だけで買うものではなくなった。スーパーにも、ドラッグストアにも、コンビニにも並ぶようになり、消費者にとっての米の買い方は大きく変わった。

 

 

その変化の中で、ミエライスは販路を広げ、より多くの人の暮らしに近い場所へと進んでいった。

 

ただ米を卸すだけではなく、時代に合わせて届け方を変えていく。その柔軟さが、現在のミエライスをつくってきた。

前川社長が語る三重の魅力は、やはり「食」にある。

 

 

松阪牛があり、伊勢志摩の海産物があり、お茶があり、そして米がある。三重県が「美し国(うましくに)」という言葉でその豊かさを表しているように、この土地には自然と食の恵みが息づいている。

 

その中で米もまた、日々の食卓に欠かせない存在として、地域の暮らしを支えてきた。

 

 

中でも米づくりにおいて、三重は西日本でも有数の産地である。前川社長によると、特にコシヒカリは西日本でも一番の生産量を誇り、三重の米を代表する品種の一つだという。

 

 

たとえば伊賀地域は盆地で、昼夜の寒暖差がある。日中はしっかり暑く、夜は涼しい。そこに、水と豊かな土が加わることで、同じコシヒカリでも、育つ土地によって味わいに違いが生まれる。

 

 

三重の米の特徴の一つは、収穫時期の早さにもある。

 

 

三重は早場地帯で、今では5月頃に田植えを行い、8月のお盆過ぎには収穫を迎えることもある。台風が来る前に収穫できることも、この土地ならではの米づくりの特徴である。

 

 

ミエライスが扱っているのは、そうした三重の土地から生まれた米だ。だからこそ、前川社長の言葉には、米そのものへの思いだけでなく、三重という地域への誇りもにじんでいる。

地域に知られ、選ばれ続けてきた背景には、知名度だけでは語れない積み重ねがある。

 

もちろん、CMや看板の力も大きい。人が集まる場所に看板を出し、テレビCMを流し、三重の人の記憶に残る発信を続けてきたことは、企業としての存在感を育ててきた。

けれど、それ以上に大きいのは、日々の仕事の積み重ねである。

 

 

米を安定して届けること。取引先に向き合うこと。消費者の声を受け止めること。毎日のように繰り返される一つひとつの仕事が、少しずつ信頼になっていく。

 

 

前川社長は営業時代、さまざまな現場を経験してきた。売り場を回り、取引先と向き合い、ときには消費者からの厳しい声を受け止めることもあったという。

 

 

米は乾物のように見えて、実はとても繊細な食品である。保管方法や季節によって、品質に影響が出ることもある。

 

 

もちろん、すべてが企業側の責任とは限らない。けれど、メーカーとして商品を届けている以上、お客様の声に向き合わなければならない場面がある。

 

 

理不尽に感じることがあっても、会社の代表として、現場に立つ。その経験を前川社長は、決してきれいごとだけでは語らない。

 

 

商売は、簡単ではない。けれど、逃げずに向き合ってきた年月がある。その泥臭さも含めて、ミエライスという会社の信頼はつくられてきたのだと思う。

 

 

前川社長の話を聞いていると、社長という肩書きよりも先に「自分で動く人」という印象が残る。

 

 

学生時代は、ブラスバンド、ドラム、柔道、応援団長。人前に立つことが好きで、大きな声を出し、人を引っ張ることにも自然と向いていたという。

 

話しぶりにも、その頃の面影がある。豪快で、飾らず、どこか人を巻き込んでいくような明るさがある。

 

 

若い頃は車が好きで、卒業後には本田技研で働いた時期もあった。その後、周囲のすすめで公務員という道もあったが、前川社長自身は、どこか自分には合わないと感じていたという。

 

 

自分で動き、人と関わりながら仕事をしていく方が性に合っていたのかもしれない。

 

 

その後、親戚の紹介もあり、現在のミエライスへ入社する。実家も米づくりに関わっていたことから、米はもともと身近な存在だった。仕事として米に向き合う前から、暮らしの中にはいつも米があったのだ。

 

 

「草刈りが好きなんです」

 

 

そう笑う前川社長は、知り合いの田んぼで草が伸びていれば手伝うこともあるという。そんな身近なエピソードからも、前川社長らしい飾らない人柄が伝わってくる。

 

 

今も、会社の周辺に草が伸びれば、自ら草刈りをする。草が伸びたままでは、訪れる人の印象にも関わる。だからこそ、玄関まわりや外観といった細かなところにも目を向ける。社員が気持ちよく出社できるように。

 

 

訪れた人に、きちんとした会社だと感じてもらえるように。そんな思いが、日々の小さな行動に表れている。

 

 

草刈り一つをとっても、ただの雑務ではない。会社をどう見せるか、社員がどんな環境で働くか、地域の中でどんな存在であるか。そうしたことを、前川社長は自分ごととして受け止めている。

 

 

米は、特別な日の食べ物ではない。毎日の食卓に並ぶものであり、あって当たり前のものとして暮らしの中にある。

 

 

だからこそ、その当たり前を支える仕事には責任がある。必要なときに、必要な場所へ、きちんと米を届ける。

 

 

家庭の食卓へ、地域の飲食店へ、小売店の売り場へ。ミエライスの仕事は、見えないところで多くの人の食事につながっている。

 

 

普段、私たちはご飯を食べるとき、その向こう側にいる人のことまで考えることは少ない。

 

 

けれど、一杯のご飯には、米をつくる人がいて、精米する人がいて、運ぶ人がいて、売り場に並べる人がいる。その流れの中に、ミエライスの仕事がある。

 

 

ミエライスの歩みは、三重の米の歴史とともにある。そして前川社長の歩みは、現場を知り、時代の変化に向き合いながら、地域の食を守ってきた一人の経営者の物語でもある。

 

 

毎日のご飯の向こう側に、どんな土地があり、どんな人がいて、どんな会社が支えているのか。そのことを知ると、いつもの一杯が少し違って見えてくる。

 

 

三重の食卓を支えてきた米の会社。ミエライスは今日も、地域の暮らしのすぐそばにある。

■ 取材先紹介

株式会社ミエライスは、三重県津市を拠点に、お米の精米・加工・販売を手がけるお米の専門企業です。

安心・安全で高品質なお米を届けることにこだわり、三重県産米をはじめ全国各地の良質なお米を取り扱われています。日本の食文化を支える企業として、長年にわたり地域の暮らしに寄り添い続けています。

株式会社ミエライス

https://www.mierice.co.jp/

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